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2010-05

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軽井沢に霧中 - 2010.05.31 Mon

今年もやってきました、軽井沢ミーティングの季節が!

もう軽井沢に霧中です♪




そう、今年の軽井沢ミーティングは霧の中での開催でした。

2010軽井沢


霧混じりの雨というか、雨混じりの霧というか、
傘が無いと濡れてしまうようなコンディション・・・

2010軽井沢

にもかかわらず屋根を開けているツワモノもいらっしゃいます。(^^)


今回が18回目の開催となる軽井沢ミーティング。
何でも過去17回のうち雨が降ったのは4回だけだとか。

でも今年もこの状態・・・
2010軽井沢


むっちゃ寒くてむっちゃ冷たくて、今回の写真はパナのコンデジで撮影、
デジイチは車で留守番させました。

なので写真も極少。。。

2010軽井沢


てなわけで今年の軽井沢レポは以上で終了。

寒さを凌ぐためにお昼にはアウトレットモールへ退避、
しばらくショッピングをした後、そのまま会場へ戻ることなく軽井沢を後にしました。


しか~し、その霧も発生しているのは軽井沢駅周辺のみ、
中軽井沢まで移動するとすっかり晴れてなくなってました。


という残念なミーティング会場でした。

これで3年連続で雨・・・・・来年はどうなんだぁ。。。

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明るい標準ズーム - 2010.05.30 Sun

17-50


17-50
レンズ買いました♪


 
タムロン SP AF17-50mm F/2.8 XR DiⅡVC

昨年秋に発売された大口径標準ズームです。

もちろん手振れ補正つき。


明るいレンズが欲しかったんですよね~


ちょっとでかいですけど。







17-50
 現在メインで使っているのが

 シグマ 18-125mm F3.8-5.6 DC OS HSM

 それに比べると大きさも重さも一回りほど
 でかくなります。


 シグマ  質  量 490g
       全  長 88.5mm
       最大径 74.0mm
     
 タムロン 質  量 570g
       全  長 94.5mm
       最大径 79.6mm

 比較するとこんな感じ。









50Dに装着してみると、でかいと思っていたカメラ本体がそれほど大きく見えなかったり。(^^;

17-50

それを差し引いても大口径であることの恩恵には代えられないものがありますから。



早速ちょっと試し撮り・・・

リリ
F2.8 1/60秒 ISO-1000

うちのニャンコ、めーわくそうな表情でモデルになってくれていますが、
夜間の部屋の明かりだけで十分きれいに撮れます。

こんなケースでは単焦点レンズのほうがいいのかもしれませんが、
実用域でズームレンズをチョイスしました。


タムロンのレンズを使うのは初めてなんですが
ちょっと気になるのがズームリングの使用感が少し重たいこと。

シグマやオリンパのレンズに比べると明らかに重たいんです。
レンズの自重落下の心配をしなくていいぐらいに・・・

そんなもんなんだろうか。




購入先はいつもの三星カメラ、ネット通販です。

メーカー希望価格 75,000円
     購入価格 36,400円ナリ

こがね製麺所~まるやうどん - 2010.05.29 Sat

巷のロードスターオーナーの間では、
明日の軽井沢ロードスターミーティングの話題で盛り上がっているようですが、
わたしゃ四国のハナシを続けます。(^^)


GW四国紀行VOL.18

3日目の高松では早朝から行動を起こしました。
朝も早よからお城を見て・・・

そしてやっぱり香川へ来たなら「うどん」です。


なんといっても早朝営業しているのがうれしいですな。(^^)
地元ではうどんやさんの早朝営業なんてありえない。

ということで、高松から丸亀方面へ向けてちょっと行ったとこにある

こがね製麺所 鬼無店
こがね製麺所

ここは朝7時から営業しています。

メニューが豊富で、いろんな食べ方が楽しめて、天ぷらも盛りだくさんで・・・

でも朝イチはやっぱり”ぶっかけ(小)”で
こがね製麺所ぶっかけ

純粋にうどんの味を楽しみたいのでネギも控えめに・・・

つるつるシコシコ、コシがあってのどごしがいい!
これこれ、やっぱりぶっかけが一番好きだな。

これで250円、おなかもフトコロもまんぞくまんぞく♪

こがね製麺所

店 名  こがね製麺所 鬼無店
住 所  香川県高松市鬼無町佐料61-5
電 話  087-881-4030
時 間  7:00~18:00



あまりの美味さにもうちょっと食べたいところだけど、いやいや、ガマンガマン!

次へ向かいましょう。


次の店は丸亀にある

まるやうどん
まるやまうどん

このお店は先代から引き継いだ”肉うどん”で有名とか。

という情報を得ていたのでがっつり肉うどんを・・・
と思ったんですが、後のことを考えて

なめたけぶっかけ(小)
まるやまうどん温玉ぶっかけ

かたすぎないやさしい仕上がりの麺に、甘めの出汁がアクセント。
なめたけと卵をからめていただきましょう。

ん~、ウマウマ♪

これで320円、至福の時間です。

まるやまうどん

この店は朝6時30分からの営業、あさから美味しいうどん巡りができるなんて幸せですな。(^^)

店 名  まるやまうどん
住 所  香川県仲多度郡多度津町西浜12-6
電 話  0877-32-8828
時 間  6:30~15:00

高松城(玉藻城) - 2010.05.28 Fri

GW四国紀行VOL.17

< 5月1日 >
積年の想いを遂げ、四万十川でのんびり過ごしているうちに夕暮れを迎えてしまいました。
当初の目的ではそのまま足摺岬へ、それから北上して愛媛県へ向かうつもりでした。

松山市内でホテルを探して、夜は顔見知りの店へちょいと飲みに。。。
なんて目論んでいたのに肝心のその日の宿が見つからない・・・どこもかも満室で空きがありません。

連休の最中に観光地なら当たり前ですやん、と自分でちょっと反省。
気ままな旅なので時間の制約はまったくないけど、ロードスターじゃ車中泊はできない・・・
そうかといって場末の宿には泊まりたくないし、あの手この手を駆使して高松にホテルをみつけました。

四万十市から須崎へ、須崎から高知道~高松道と乗り継いで一気に高松入りです。
ホテルに着いたのが21時過ぎ、その日は簡単に食事を済ませてバタンキューでした。

高知道



< 5月2日 >
この日も朝から快晴、ゆっくり寝てすごすのはもったいないのでまたまた早朝から行動です。

ホテルからほど近いところにあった高松城へ~
高松城艮櫓


讃州さぬきの高松さまは城が見えます波の上♪ と歌われている高松城は、
豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正によって、瀬戸内海に直接面した現在地に築城されました。
その後生駒家4代、松平家11代が居城した城跡で、全国でも稀な海城(水城)として有名です。

かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、
城内に直接軍船が出入りできる、水軍の運用も視野に入れた日本初の本格的な海城でした。

高松城


過去には3層5階の天守閣があり、要所には20の櫓があったといわれていますが、
現在では艮櫓、月見櫓、渡櫓、水手御門を残すのみとなっています。


艮櫓(うしとらやぐら)
高松城艮櫓


渡櫓
高松城渡櫓

石垣に継ぎ足しがあるのが分かりますが、
生駒家から松平家へ引き継がれたときに継ぎ足されたといわれています。


月見櫓
高松城月見櫓


鞘橋  二の丸と本丸を結んでいた唯一の連絡橋
高松城鞘橋


天守閣跡  
高松城天守閣跡
現在は工事中で、石垣と天守閣を復元する予定のようです。


海水導入門  
高松城海水導入門
現在でもお堀には海水が引かれ、ここの水門で水位を調節します。


お堀には「コイ」ならぬ、「タイ」が飼われているのにはビックリ!
高松城コイ


水手御門
高松城水門
江戸時代まではここは海に面していました。
藩主はこの門から小船で出て、沖に停泊する御座船に乗り換えて出かけたそうです。
この水手御門は直接海に向かって開く海城独特の門で、全国で現存するのはここだけとか。


三の丸には披雲閣という建物があります。
披曇閣
松平藩時代は政庁、住居として使われていましたが、現在は茶会や会議等に利用されるそうです。

披曇閣 披曇閣

披曇閣 披曇閣


現在の披雲閣は大正時代に再建されたもので、それと同時期に枯山水の庭園も造られました。
披曇閣

高松城月見櫓

現在は玉藻公園として広く親しまれている高松城、
私自身も海城というのを始めて見て興味津々でした。


天守閣が完成したら、また見に来なくちゃいけないな。。。

高松城艮櫓

(5月2日・高松市にて)

道の駅 とおわ - 2010.05.27 Thu

GW四国紀行VOL.16

道の駅とおわ


四万十の旅の途中で立ち寄った道の駅、 『四万十とおわ』

最近はどこへ行っても道の駅があるので休憩場所に困ることはありません。
ともすると乱立状態で、「なんじゃこれ?」と思うような道の駅もありがちですが・・・

道の駅とおわ

道の駅とおわ


ここは四万十川に隣接して設置されていてロケーションも最高です。
連休初日ということもあって結構な賑わいでした。
四万十

ここのレストランは四万十の流れを楽しみながら食事ができます。

ってことでここで昼食です。

とおわ食堂
とおわ食堂


この道の駅へはハナから食事をする目的で寄りました。

こんなものを食べたかったから。


天然手長えびのから揚げ
手長エビ

青さのりの天ぷら
青さ天


地のものをその地で食す、これ最高じゃないっすか!

手長えびはカリカリに揚がってて頭からガッツリいきましょう。
青さはまるでのりのおだんご、ちょっとうす味なので塩をかけるとおいしくいただけます。
最初から最後まで口の中がのりの風味でいっぱい、のり好きにはたまんない一品です。

手長えびが720円、青さのり天が550円とちょっとお高いのがタマにキズでしたが・・・
天然もの、そして観光地価格ということで我慢しましょう。

道の駅とおわ

施設もきれいでなかなかよさげな道の駅でした。


注)ここでお買い物をするときはエコバックを持参しましょう。
  買い物袋に入れてもらうと5円/枚かかります。

(5月1日・四万十町にて)

清流四万十川 - 2010.05.26 Wed

GW四国紀行VOL.15

四万十


今回のドライブで四国を選んだ最大の理由がここ四万十。

雄大な四万十川を、その流れを追いながらゆっくりと見て歩くことでした。


高知を発ってR56を南下、できればその源流からスタートするのが理想だったけど、
四万十町でR381と合流する地点からスタートしました。

ここからは四万十川の流れとともに併進します。
ここから河口まではまだ百数十キロ、その時点ですでにこの川幅。
いやでもその雄大さが目に飛び込んできます。
四万十上流

四万十大正

四万十


特に何があるわけでもありません。
緩流があり急流があり、悠々と水は流れていきます。

それが最後の清流といわれる所以かもしれません。

四万十


途中にはこんなのもありました。

旧十和村名物 こいのぼりの川渡し
こいのぼり


四万十


四万十川といえば有名なのが沈下橋。
数多くの沈下橋が現存していますが、そのうちいくつかに立ち寄りながら進みました。


半家沈下橋  人気のない沈下橋では、ちょっと写真を撮ってみたり・・・
四万十半家沈下橋

地元の方の通行の妨げになることはやめましょう。。。 って必ず注意書きがあります。


中半家沈下橋
四万十中半家沈下橋


長生沈下橋
四万十長生沈下橋


私の暮らすところも大概な田舎町、野山の風景はなんら変わりはありません。
でもこの人の手の加えられていない川の雄大さには心を引き寄せられます。
四万十


岩間大橋
四万十岩間沈下橋

ここの風景を目にしたことがある方も多いんじゃないでしょうか。
パンフやポスターによく写真が採用されるのが、ここ岩間沈下橋。


四万十


勝間橋  (鵜の江沈下橋)
四万十勝間沈下橋

四万十勝間沈下橋


三里橋
四万十三里橋

四万十三里橋

ここでは屋形船を出しているおっちゃんと話が盛り上がりました。
なんでも4、5日前に降った雨の影響で川が濁っているとか・・・
延長が長いので濁りが取れるのも時間が掛かるようです。

そのおっちゃん、ほかに漁師も猟師もしておられるそうで話題が豊富、
四万十の鮎や川えびの生態や漁法を教わりました。

そしてなんとそのおっちゃん、年齢は67歳だそうですが若い頃にホンダのエスロクに乗ってたそうで、
ウチのロードスターを見てついつい声を掛けたくなったそうです。
若かりし頃の武勇伝を延々と聞かされましたけど。(^^)

また乗ってみてぇーなー、オープンカーに・・・なんてこともおっしゃってました。



佐田沈下橋 (今成橋)
四万十佐田沈下橋

ここは有名になりすぎてすっかり観光地化してました。
観光案内所があったり、アイスクリームを売ってたり・・・
車両の通行も可能ですが、観光客で橋上が飽和状態。
それでも人が退けるのをしばらく待って撮ったのがこの写真。

ここを見るなら早朝にくるのがいいでしょうね~。


ここから河口へはまだ十数キロ行かなければなりませんが、連休渋滞がひどいのでやめました。

それでも川の流れとともに走った距離百十数キロ、
写真で並べるとこれっぽっちですが、まだまだ物語は隠れています。

たった数時間の四万十の旅でしたが十分堪能することができました。


いつまでも、いつの時代へもこの清流が保たれていくことを願って四万十を後にしました。

四万十

(5月1日・四万十にて)

南海の名城・高知城 後編 - 2010.05.25 Tue

GW四国紀行VOL.14

高知城天守

藩政時代の姿を残す土佐二十四万石の山内家の居城、高知城。

この木造天守閣は全国に現存する12城のうちのひとつに数えられます。

天守は三層六階の高さ18.5mの建物で、創建当時の構造形式を保っています。
その姿態は千鳥破風、唐破風、入母屋破風を取り入れた造りで、
最上階の外側には回り縁と擬宝珠をつけた高欄がめぐらされています。


二の丸
高知城本丸


二の丸より本丸を望む
高知城二の丸より本丸


さて、意気揚々と登城していったのはいいものの、開門は9時からで天守へは入城できませんでした。トホホ

ということでちょっとだけ覗き見。。。
高知城窓

塀越しに。。。
高知城塀越し

あと30cmほど身長が高ければ内部が覗けたかもしれない・・・(-o-)


天守からの眺め、とまではいかないまでも城下を一望できる高さです。
高知城下

標高44.4mの大高坂山の頂に立つ天守閣からは市街地のほぼ全容が眺められるそうです。


残念ですがその眺望は次の高知訪問の際の課題に残しておきます。

高知城

高知城


城内には山内一豊の銅像もありました。
山内一豊

その歴史を少し・・・

山内一豊は1545年、尾張国岩倉に生まれました。
13歳のときに尾張岩倉城主織田信安の家老であった父の盛豊が討ち死にし、
以後、一豊は母と兄弟ともに流浪の生活を送ることとなりました。
一豊は流浪の末に織田信長の家臣であった秀吉に仕え、信長の越前朝倉攻めに出陣して武功をあげ、
以後も秀吉の配下として各地の戦いに参戦しました。
本能寺の変で信長が死去し秀吉の天下となるとそのもとで数々の功績を重ね、1585年に近江長浜2万石、
1590年に遠州掛川5万石を与えられ、検地や築城、城下町経営に手腕を発揮しました。
1600年の関ヶ原の戦いでの功績により土佐一国24万石を与えられ翌年入国、
高知城の築城と平行して城下町を整備し、現在の高知市の基盤を造りました。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三代の天下取りの間を生き抜いて出世した
ただ一人の武将といえるでしょう。

その山内一豊が築城した高知城は1601年に着工、1603年には本丸と詰門、太鼓櫓が完成しました。
1727年には大火に遭い、追手門ほか数棟を残して消失しましたが、2年後に再建に着手、
24年掛けて復旧したのが現在の高知城です。

天守閣と追手門がそろって残っていることや、
全国で唯一、本丸内の建造物がほぼ完全な形で残っていることなどから、
城郭史上きわめて貴重な遺構であるといわれています。


それほど前知識もなく訪れた今回の高知城探訪でしたが、
思っていた以上に規模の大きい城郭で、その上見事に現存されていることに驚嘆を覚えました。

天守に登城するべく、ぜひまた機会を作って高知を訪れたいと思います。


(5月1日・高知城にて)

南海の名城・高知城 前編 - 2010.05.24 Mon

GW四国紀行VOL.13

高知城天守

高知は今、「龍馬伝」に便乗して市内のあちらこちらで坂本龍馬に関するイベントが開催されています。

GWの間は特にそれが顕著のようで、入場制限があったり交通規制がかかっていたり。

たとえば桂浜なんかもそう。

5/1~5/5の間はマイカー規制が掛けられていて、
『市内からシャトルバスで行きましょう♪』
なんて言われても、時間がもったいないからそんな気にはなれないし・・・

そんな理由で今回は高知市内のめぼしいところはスルーすることにしました。
次回の高知訪問の理由付けに置いておきます。

それでもとりあえず高知市を発つ前に、早朝の高知城を訪ねてみました。


追手門と天守
高知城追手門
お城は数多くありますが、追手門と天守が一緒に眺められるところは高知城だけだそうです。


追手門
高知城追手門

追手門は高知城の正門で、扉には立派な大肘壷がつけられています。
門の両側を大きな石垣で積み上げて、門前が升形状にしてあります。
これは的を阻んで石垣の上にある挟間塀の三方から攻撃できるようにしてあります。



石段

ここへ来てまず関心を持ったのが石垣と石段の規模の大きさ。
この石段は、攻めるのに上がりにくく守るのに下りやすい、丁度よい足幅に造られているとか。
先人の工夫が見て取れます。

石段より天守を望む
高知城



三の丸石垣
三の丸石垣

野面積みは自然石を積み上げた野面積みは一見すると乱雑な積み方に見えますが、
奥行きのある石を積み、隙間に小石や砂利で打ち込みハギが施されているので、
非常に堅固で排水にも優れた工法が用いられています。


三の丸より天守を望む
高知城三の丸より



詰門
高知城詰門

詰門は二の丸と本丸を結ぶ廊下になっており、侍の間、中老の間、家老の間があって
本丸を警固する武士たちの詰所がありました。


詰門からの天守
高知城天守


高知城にはいろいろな工夫が施されています。

これはそのひとつ、石樋
高知城石樋

石樋は排水が直接石垣に当たらないように石垣の上部からかなり突出して造られており、
その下には水受けの敷石を施して地盤を保護しています。
これは降雨量の多い土佐ならではの独特の設備で、他の城郭ではあまり見ることがありません。
高知城には16箇所に石樋があります。

これもそのうちのひとつ。
高知城石樋



忍び返し
高知城忍び返し

読んで字の如く・・・ですね。
石落しも併設されています。


とまぁ、ようやく二の丸手前まで上がってきました。

この辺で小休止、後編へ続きます。


(いえいえ、ネタを引っ張っているのではありませんよ。寄稿中に急遽来客が・・・・・)

まゆみの店 - 2010.05.23 Sun

GW四国紀行VOL.12

まゆみの店


高知市から西へしばらく向かうと須崎って町があります。
その須崎が発祥といわれる高知のご当地ラーメンの鍋焼きラーメン。

その鍋焼きラーメンで最近よく取り上げられているのがここ「まゆみの店」


店の看板には「お好み焼き」の文字があったけど、店内メニューにはありましぇん。

まゆみの店
鍋焼きラーメンで名を馳せたので引っこめたんだな、きっと・・・


店はそれほど広くなくてキャパはせいぜい14~15人、
店内は決して小ぎれいな感じはなくて、田舎の普通の食堂って感じです。
まゆみの店


さて、それでは肝心の鍋焼きラーメンをいただきましょう。

注文するときに「麺は硬めになるが」と承諾の意を問われます。(鍋焼きであることの特性か)

見た目、ふたを開けるまでは普通の鍋焼きうどん。(そりゃそうだ・・・)
鍋焼きラーメン土鍋


ふたを開ければ
鍋焼きラーメン 並   600円
鍋焼きラーメン


具材はちくわとニラと卵で、まるまる鍋焼き。
鶏の風味の濃い醤油味のだし(この場合スープと呼ぶよりダシといったほうが適確)が熱々の状態。
鍋焼きラーメン
なるほど、それで麺を硬めで提供するんだな・・・。

しばらく食べていてもいつまでも熱々、さすが鍋焼き。
鍋焼きラーメン

猫舌の方にはちと辛いものがあるかもしれない・・・。

という私もたいがい猫舌、汗をかきかき完食しました。
鍋焼きラーメン完食


それなりにおいしかった鍋焼きラーメン。

酷評ですが、名が売れてきて多忙なためかあまり愛想なく接客がイマイチでした。
他の方の口コミにもちょこちょこ出てるけど・・・

須崎名物ということで鍋焼きラーメンを食べるなら他の店を開拓するのも面白いかもしれません。



店 名  まゆみの店
住 所  高知県須崎市栄町 10-14
電 話  0889-42-9026
時 間  11:00~21:00

はりまや橋あれこれ - 2010.05.22 Sat

GW四国紀行 VOL.11

はりまや橋


高知といえばよく目にするのが「はりまや橋」の文字、
ガイドブックや観光パンフなどで見かけることしばしば。

その反面「がっかり名所」とゆやされることが多いけど、
高知を訪れるのが初めてならはりまや橋を見たこともない。

百聞は一見に如かず、とりあえずはおのぼりさん気分で見に行くことにしました。


ちなみに「がっかり名所」とは・・・
 観光地としては有名なのに行ってみると大したことない場所をいいます。
 日本三大がっかり名所として「札幌の時計台」「高知のはりまや橋」「長崎のオランダ坂」
 が言われていますが諸説あり、「首里城守礼門」「京都タワー」「大阪の仁徳天皇陵」
 などが挙がっています。

はりまや橋


はりまや橋の由来
 はりまや橋は江戸時代初期、高知城の堀川を挟んで店を構えていた播磨屋と柩屋(ひつや)が
 お互いの往来の為に架けた私設橋でした。
 この橋は次第に人の往来が多くなって後に公道となり「はりまや橋」と呼ばれるようになりました。
 明治41年10月には鋳鉄製の橋に架け替えられ、その後高知駅の開業、電車の開通等の整備によって
 道路幅も拡幅され、第二次世界大戦後の戦災復興により石造りの欄干を持つ橋になりました。
 さらに昭和33年には南国高知総合大博覧会に合わせて歩道と車道の境に朱色の欄干が登場します。
 平成9年、再整備事業に伴い朱塗りの欄干が撤去され、そのあとに現在の石造りの欄になりました。
 

上記の写真が南国博覧会のとき造られた朱色の欄干。
パネルに掲示された写真を写したので色が褪せていますが・・・


現在の石造りのはりまや橋は
現はりまや橋
はりまや橋=朱塗り、というイメージが強かったので
パット見ではそれがはりまや橋と気がつきませんでした。(^^;


現在では堀川であったであろう場所に親水公園が整備され、そこに2つのはりまや橋が架かっています。

もとの江戸期のはりまや橋をイメージして再現したものが
復元はりまや橋

もうひとつは
復元はりまや橋

やっぱり「はりまや橋」は朱色のイメージが強いのか、前者の橋で写真を撮られる方がほとんどでした。(^^)


そして播磨屋橋公園の東西を結ぶ地下道へ降りると、
平成9年に撤去された朱塗りの欄干が保存展示されています。
はりまや橋欄干

そこには高知の歴史、はりまや橋の歴史もパネル展示され、その変遷を知ることができます。
はりまや橋パネル


これが現在の播磨屋さん
播磨屋
手前右手に見えるのが復元された江戸期のイメージモデル。


店舗の前にはこんな「はりまや橋も」ありました。
はりまや橋キティ


こうしてみるとそれほど「がっかり名所」ではありません。
歴史をひも解いていくとなかなか面白いしね。

長崎のオランダ坂や沖縄の守礼門もそれなりに造詣があるし。


ま、何度も何度も見るほどの物じゃないことは確かかもしれませんけど。


(4月30日・高知市内にて)

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